大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 平成3年(わ)756号 判決

主文

被告人を判示第一の罪について懲役一二年に、判示第二ないし第四の罪について死刑に処する。

未決勾留日数のうち一〇〇日を判示第一の罪の刑に算入する。

押収してあるナイロン製洗濯用ロープ一本(平成三年押第三八三号の8)及び浅緑色ナイロンロープ一本(同押号の1)を没収する。

押収してある総合口座通帳一冊(同押号の6)を被害者に還付する。

理由

(被告人の身上、経歴等)

被告人は、昭和三九年九月一二日、香川県綾歌郡綾上町において、農業を営んでいた父A、母B子の二人兄弟の長男として出生し、地元の小中学校及び商業高校を卒業後、高松市内にある日用雑貨等の販売店に店員として勤務したが、同店に勤め出してしばらくすると、スナックで毎日のように飲酒したり、いわゆるソープランドで遊ぶことを覚え、最初のうちは給料の範囲内で遊んでいたものの、終いにはいわゆるサラ金から金を借りてまで遊ぶようになり、また、遊ぶ金欲しさに商品である無線機の売却代金を使い込んだことが発覚し同販売店に居辛くなつたことなどから、一年半ほどで同販売店を退職し、サラ金に対する数十万円の借金の返済及び同販売店に対する商品代金の被害弁償についてはいずれも父親にその後始末をしてもらつたうえ、昭和五九年一〇月ころからは、同市内の運送会社で半年間の臨時社員として、荷物の仕分け作業に従事し、その後昭和六〇年四月ころから、同市内のワックス等の販売会社に入社し、セールスマンとして稼働していたところ、これまでも高校卒業後度々交通違反を犯したり、車を大破させる事故を起こしたりしていたにもかかわらず、またも交通事故を起こし入院したことなどから一、二か月ほどで同会社を辞め、同年七月ころからは同市内の青果店に勤務するようになつたが、翌昭和六一年二月に無免許運転で逮捕、勾留され、同年五月、徳島地方裁判所において道路交通法違反罪で懲役四月、執行猶予三年の判決を受けるに至り、その際、勾留中に知り合つた暴力団組員から誘われて、同月ころ徳島市内にある甲野組系乙山会内丙川組の組員となつた。

ところで、被告人は、前記日用雑貨販売店に勤務当時、同時に入社した女子社員のC子と知り合い、同店を退職した後も交際を続け、昭和六一年一一月ころから、徳島市内のマンションで同女と同棲するようになり、同六二年五月に同女と婚姻したが、暴力団組員である被告人にはもともと安定した収入がなく、家計に金を入れるわけでもなかつたのでやむなく同女が働いて家計を支えてきたものの、やがて生活に窟するようになり、同女が出産のこともあつて同年八月ころ高松市内の実家に帰つたのをきつかけに、同年一二月に長男が誕生した後も久しく別居状態を続けていたところ、昭和六三年夏ころ、野球賭博に手を出して前記丙川組とは別の暴力団組員に多額の借金を作つてしまつたことが同組に知られてしまい、金策の当てもなかつたため、同組から行方を眩まされなければならなくなつたことから、同年九月ころ、妻子を連れて、東京都に住んでいる叔父らを頼つて出奔したが、間もなく被告人に愛想を尽かしたC子が実家に帰つてしまい、同年一一月には協議離婚した。

単身となつた被告人は、昭和六三年一一月から東京都武蔵村山市所在の丁原自動車株式会社村山工場に期間従業員として採用され、寮生活をするようになつたものの、やはり遊び癖が出て給料の大半はパチンコ遊びや売春婦との遊興などの費用に使つてしまい、足りなくなれば同僚らから借金するという生活を続け、平成元年五月に登用試験を受け準社員となり、同年九月には正社員となつたが、平成二年三月三〇日付で同社を退職して寮を出、その後、東京都港区にある客の要望に応じて売春婦をホテル等に派出する、いわゆるホテトルの従業員として電話番等に従事するようになり、ホテトルの経営が非常に儲かることを知り、いずれは自分で経営をしてみたいという気持ちを抱くようになつたが、たまたま同ホテトルの顧客から同ホテトルのいわゆる営業権を買いたいという相談を受けるということがあつたので、同ホテトルの経営者と交渉したところ、従業員である被告人に対してならば安く譲つてもよいと言われたことから、実際は右顧客が資金を出すことを秘して、被告人が営業権を買い受けるという形を取り、平成二年一〇月ころから、ホテトルの名目上の経営者となつた。

第一

一  (被害者D子殺害に至る経緯等)

被告人は、前記日用雑貨販売店及び運送会社に勤務していたころ、香川県香川郡《番地略》所在の大人の玩具等の販売店である有限会社戊田・甲田店に立ち寄つていわゆるビニ本を購入していたが、昭和五九年一一月上旬同店に立ち寄つた際、同店に勤務していたD子に対し、同店に陳列してある大人の玩具について説明を求めていたところ、同女から「買わんのやつたら聞かんでくれ」等と文句を言われて口論になり、その場は我慢て帰宅したものの、被告人も店員として勤務していたころは買う気のない客に対してもそれなりの応対をしてきたことなどを思い起こすうち、同女の態度は店員として余りにも不誠実であり許せないという憤りを募らせ、同月一五日午後一〇時過ぎ遂に同女を殺害することを決意し、同女殺害の道具として自宅台所にあつた先端の鋭利な包丁を用意するとともに、返り血を浴びた際の用意に着替えの衣服や履き替えるための靴等を準備し、軽四輪自動車を運転して自宅を出発し、同日午後一一時ころ、同店裏側農道に同車両を駐車し、右包丁を隠し持ち、客を装つて同店に入り、陳列してあるいわゆるビニ本を見る振りをしながら、同女を殺害する機会を窺つていた。

二  (罪となるべき事実)

被告人は、

(一)  前記の経緯でD子を殺害しようと決意し、昭和五九年一一月一五日午後一一時ころ、香川県香川郡《番地略》所在の大人の玩具等を陳列販売する前記有限会社戊田・甲田店において、同店店員D子(当時六四歳)を陳列してある大人の玩具の説明を求める振りをして店舗の奥に誘い込み、同女に気付かれないよう出入口を施錠したうえ、いきなり、前記の包丁で、殺意をもつて同女の胸腹部等を十数回突き刺し、よつて、即時同所において、同女を胸部刺創に基づく失血により死亡させて殺害し

(二)  前記日時場所において、D子管理にかかる有限会社戊田(代表取締役E)所有の現金約五万円を窃取し

たものである。

第二

一  (被害者F殺害に至る経緯等)

被告人は、昭和六〇年七月ころから、前記のように高松市内の青果店に勤務するようになり、程なく近所の精肉店で勤務していたFと知り合い、毎日のように顔を合わせるうちに、互いの家を訪問したりするなどして親しく付き合うようになつたが、昭和六一年二月九日、同人と徳島市内をドライブ中に無免許運転をして逮捕され、勾留されていた間に、同じく勾留されていた暴力団組員と知り合い、暴力団組織に入るよう誘われたことから、同年五月九日に右事件に付き執行猶予の判決を受けて出所すると間もなく、同組員の実兄が幹部をしていた徳島市内に事務所を構える暴力団甲野組系乙山会内丙川組組員となつたが、末端の組員である若衆を増やすという組長の方針に沿つて同年九月ころFを同組組員として誘い入れた。

ところが、しばらくするとFの方が組織の幹部から可愛がられるようになつたうえ、組内の派閥的な対立も絡んで、同人が組幹部から目をかけられていることを鼻にかけ、以前のように被告人を兄貴分として立てる態度を見せなくなつたばかりか、むしろ被告人に対し横柄な態度をとるようになつたように思えたことから、次第に同人に対し苛立ちを覚えるようになり、同人の言動が悪いとしてその顔面を殴打するということもあつた。

二  (罪となるべき事実)

被告人は、前記のような経緯でかねてよりF(当時二一歳)に反感を抱いていたところ、昭和六三年三月二一日ころの深更、当時C子と別居し、Fとともに寝泊りしていた徳島市《番地略》所在の甲田第三号館ビル四階の前記丙川組当番室において、事務所当番をしていた際、組の仕事で外出していたFに夜食を買つてきてもらおうと思い、同人の所持するポケットベルを使つて呼び出そうとしたところ即座に応答がなかつたので、間もなくして組当番室に戻つて来た同人に対し文句を言い、改めてその買い出しを依頼したところ、同人から「もう遅いから面倒だ。自動車のキーを渡すから自分で行つたら。」などと言われ、これまでは同人が被告人から弁当などを買つてくるよう頼まれるとこれを拒むということはなかつたのに、当夜は被告人に反抗的な態度をとつて、被告人に免許がなく今度無免許運転で捕まれば間違いなく刑務所に行かなければならなくなることを百も承知のうえで同人がそのようなことを言つたのは被告人のことを馬鹿にしているのだと思い、同人に対し暴力でもつて制裁を加えたが、なおも同人が不貞腐れたような態度を取つて風呂に入つたことから憤慨し、日頃の同人に対するわだかまりが一度に吹き出してきて、この際同人を殺害しようと決意し、同室にあつた電気コード(平成三年押第三八三号の12)を風呂から出てきた同人の背後からその頚部に巻き付けて強く絞めつけ、よつてそのころ同所において、同人を窒息死させて殺害したものである。

第三

一  (被害者G殺害に至る経緯等)

被告人は、昭和六三年一一月一日から、前記のように東京都武蔵村山市所在の丁原自動車株式会社村出工場に期間従業員として勤務するようになつたが、たまたま同時に期間従業員として入社した北海道室蘭市出身のGと知り合つて、おとなしく人なつつこい性格の同人と気が合い、同人を被告人の部屋に寝泊りさせたり、互いの寮の部屋を行き来したりして親しく交際するようになつたが、一方では次第に同人に付きまとわれているようで鬱陶しく思うようになり、また、当時、給料の大半をパチンコ等の遊興費に費消してしまい、遊ぶ金にも事欠くようになると年下で未成年の同人に対し金を落したと嘘をつくなどして借金を申し込んだりもしていた。

被告人は、平成元年六月八日夜、前月の末日をもつて期間満了により同工場を退職し、その後も荷物整理等のためにしばらく寮にとどまつていたGから、「明日北海道に帰る」と聞いて、同人の送別会をすることにし、同都立川市内のスナックで飲酒し、翌九日午前三時半ころ、同人とともに同都武蔵村山市《番地略》所在の丁原自動車株式会社村山寮五号館二〇九号室の被告人方居室に戻つたところ、些細なことから一時同人と口論となつたものの、そのうち同人が同室で就寝してしまい、自分も寝に就こうとした際、同人は退職に伴いまとまつた額の慰労金等を受け取つているはずであるし、同人の暮らし振りからしてこれまでの給料も相当蓄えているだろう、これに反して自分の方は遊ぶ金に困つており、どうしても遊ぶ金が欲しい、ここで同人がいなくなつても帰郷したといえば自分の方は疑われずにすむなどと考えているうち、同人を殺害したうえ、同人の所持する現金を強取することを考えるに至つたものの、その方法などを思案したりして、決断のつかないうちに眠り込んでしまい、同日午前六時四〇分ころ目を覚ましたが、同人を殺害して金を奪おうという気持ちは変わらず、午前八時すぎには被告人方居室の同室者が夜勤を終えて戻つてきてしまうことから、Gを殺害して所持金等を強取するには直ちに実行するしかないと考え、同人を洗濯用ロープで絞殺し、その財布や部屋の鍵等を強取したうえ、その鍵を用いて同人の部屋から現金を奪うという計画を思いつき、寮から程近いコンビニエンスストアーに赴き、洗濯用ロープを購入して自室に戻つた。

二  (罪となるべき事実)

被告人は、

(一)  G(当時一八歳)を殺害して金品を強取しようと企て、平成元年六月九日午前七時ころ、東京都武蔵村山市《番地略》丁原自動車株式会社村山寮五号館二〇九号室の自室において、殺意をもつて前記のナイロン製洗濯用ロープ(平成三年押第三八三号の8)を就寝中の同人の頚部に巻き付けて強く絞めつけ、よつて、そのころ同所において、同人を窒息死させて殺害したうえ、同人所有にかかる現金約三万円在中の財布一個及び同人管理にかかる同人の部屋及びロッカーの鍵二個(時価合計約七五〇円相当、同押号の9)を強取し、同日午後零時ころ、同所から約三キロメートル離れた同市《番地略》同社三ツ木寮C棟一一五号室の同人方において、同所に設置された同人のロッカーを前記鍵を用いて開扉し、同ロッカー内から同人所有にかかる現金約一二〇万円を強取し

(二)  前同日午前七時過ぎ、前記村山寮五号館二〇九号室の自室において、前記Gの死体を折り曲げて前記ナイロン製洗濯用ロープで縛つたうえ、段ボール箱に押し込み、同段ボール箱を押入れに入れて隠匿し、次いで同月一一日ころ、同人の死体を大型ポリ容器に入れて自室のベランダ等に放置して隠匿し、更に平成二年四月九日ころ、千葉県市川市《番地略》有限会社乙野重機先の排水溝に右死体が入つた大型ポリ容器を投げ捨て、その上から布団などをかぶせて隠匿し、もつて、死体を遺棄し

たものである。

第四

一  (被害者H子殺害に至る経緯等)

被告人は、平成二年五月ころから、前記のように東京都港区内において、Iが経営していたいわゆるホテトルで電話番等の仕事に従事するようになり、ホテトルの経営が非常に儲かることを知り、いずれは自分でホテトルを経営してみたいと思うようになつていたところ、同年九月ころ、Iが右ホテトルの営業権を売却したがつていることを店の客であるJから聞き及び、同人から、同人がIから営業権を譲り受けた場合には被告人にホテトルの経営を任せるのでIと交渉してほしい旨依頼されたことから、これを引き受け、営業権を安く譲り受けるため、同人に対し、真実はJが金を出すことを秘し、被告人がホテトルの営業権を譲り受けたいと言つて、通常の譲渡価格よりも安い五〇〇万円(その後、Iに不信行為があつたことを理由に、被告人が知人の暴力団員を介してIと交渉し、結局一〇〇万円で譲り受けることになつた。)で営業権を譲り受ける契約を結び、同年一〇月ころから右ホテトルの名目上の経営者となつて営業していたものの、Iとのトラブル及びその解決交渉などもあり、ほどなく東京都豊島区のビルにその事務所を移し、ホテトルの営業を続けていたが、最初は経営には口を出さないと言つていたJが、しばらくすると「経費がかかる割には儲けが少ない。」などと口を出すようになつたため、同人の下で働くことに嫌気がさし、ホテトルが営業不振に陥れば、同人が営業を諦めて営業権を被告人に譲りたいと言い出すであろうとの考えから、わざと営業に力を注がずにいたが、平成三年二月末ころになつて、Jが案に相違してIに営業権を買い戻してもらうつもりでいることをJから聞いて知り、そうなつた場合、前記の経緯もあるので再びIの下で働かなければならなくなるのは苦痛であるばかりか、自分がホテトルを経営するという夢も遠のくと考え、Jに対し、Iには営業権を売らないで欲しい旨申し入れたところ、Jから、今までにかかつた諸経費分等として被告人が同年三月八日までに一〇〇万円支払つてくれるなら、Iに営業権を売却しないと言われ、これを承諾した。

しかしながら、被告人は、自分がいわゆるサラ金のブラックリストに載つているだろうから金融機関から自己名義で金を借りることは出来ないと考えていたし、今までに実父には再三サラ金や勤務していた会社に対する借金を支払つてもらつており、上京する際の前記暴力団に対する借金の後始末をしてもらつていたことから、実父に借金を申し入れても相手にされないことが分かつていたし、また神奈川県藤沢市内に居住する伯父のKからは、遊興費などに多額の金員を費消したりして金員に窮し、同年一月八日ころ、友人が交通事故を起こしたなどと嘘を言つて一五〇万円を借りたことがあり、そのうえ、同月二六日ころにも二五万円の借用を申し入れた際、出勤途中で急いでいた伯父からキャッシュカードを渡され、暗証番号を教えてもらつたことをよいことに、同人の預金口座から合計一五六万円を無断で払い戻しており、いずれも未だ返却していなかつたことから到底これ以上借金を申し込むことは出来ず、他にどこからも金を貸してもらえる当てがなかつたので、完全に金策に窮してしまつたが、何としてもIにホテトルの営業権を売却されるのだけは阻止したいとの思い詰めた挙げ句、同年三月七日夜になつて、このうえは二人暮らしでまとまつた金を持つていると思われる伯父夫婦から金を強取するしかないと考えるに至り、伯父が出勤した後、一人でいる伯母のH子を殺害して金員等を強取しようと決意し、同月八日午前五時四〇分ころ、同女を殺害するのに用いるべく、前記肩書の元の住居である池袋の自宅にあつた洗濯用ナイロンロープをコートのポケットに入れて自宅を出発し、途中、犯行現場に指紋を残さないための軍手等を購入して準備し、Kが出勤した後であることを見計らつて、同日午前八時ころ同人宅に赴き、H子に招じ入れられるまま、同人宅内に上がり込み、何気ない風を装つて同女と話をしながら同女を殺害する機会を窺つていた。

二  (罪となるべき事実)

被告人は、

(一)  H子(当時六三歳)を殺害して金品を強取しようと企て、平成三年三月八日午後一時三〇分ころ、神奈川県藤沢市《番地略》K方において、殺意をもつて、同女の頚部に前記ナイロンテープ(平成三年押第三八三号の1)を巻き付けて強く絞めつけ、よつて、そのころ、同所において、同女を窒息死させて殺害したうえ、そのころ、同所において、同女及び前記K所有の現金約二万三〇〇〇円、定額郵便貯金証書、総合口座通帳等七二点(時価合計五二〇〇円相当)を強取し

(二)  前同日午後四時三〇分ころ、前記H子の死体を前記K方床下に運び込んで隠匿し、もつて、死体を遺棄し

(三)  前同日午後二時四〇分ころ、神奈川県藤沢市藤沢一一五番地二藤沢郵便局において、行使の目的で、ほしいままに、強取にかかるK名義の定額郵便貯金証書一通(額面金額八〇万円、同押号の3)の受領証受取人欄に「藤沢市《番地略》K」、同定額郵便貯金証書二通(額面金額三〇万円及び額面金額一〇〇万円、同押号の2及び4)の各受領証受取人欄に「藤沢市《番地略》K」、強取にかかるH子名義の定額郵便貯金証書一通(額面金額一〇〇万円、同押号の5)の受領証受取人欄に「藤沢市《番地略》H子」とボールペンでそれぞれ冒書し、その名前の横に強取にかかる「K」と刻した丸印をそれぞれ冒捺し、もつてK及びH子名義の右貯金払戻金の受領証四通を偽造し、そのころ、同所において、同局係員に対し、右偽造にかかる受領証を含む定額郵便貯金証書四通を真正に成立したもののように装つて提出行使し、自己が右両名の息子であると偽つて右各貯金の払戻を請求し、同係員をして、その受領証がいずれも真正に作成され、被告人が正当な払戻請求者の代理人である旨誤信させ、よつて、そのころ、同所において、同係員から右各貯金払戻金名下に現金合計三二四万八三三六円の交付を受けてこれを騙取し

(四)  前同月一一日午前一一時ころ、東京都豊島区西池袋一丁目一八番二号第一勧業銀行池袋西口支店において、行使の目的をもつて、ほしいままに、払戻請求書用紙の日付欄に「三年三月一一日」、口座番号欄に「〇〇〇〇〇〇〇」、金額欄に「¥二〇〇〇〇〇」、氏名欄に「K」とボールペンでそれぞれ冒書し、その名前の横に前記強取にかかる「K」と刻した丸印を冒捺し、もつて、K名義の右払戻請求書一通(同押号の7)を偽造し、そのころ、同所において、同支店係員に対し、右偽造にかかる払戻請求書一通を真正に成立したもののように装い、強取にかかるK名義の総合口座通帳(預金残高三一万一一五五円、同押号の6)とともに提出行使し、自己がKであると偽つて現金二〇万円の払戻を請求し、同係員をして、その払戻請求書が真正に作成され、被告人が正当な払戻請求者である旨誤信させて預金払戻金名下に現金二〇万円を騙取しようとしたが、右預金の支払停止手続がとられていたため、その目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)《略》

(確定裁判)

被告人は、昭和六一年五月九日徳島地方裁判所で道路交通法違反罪により懲役四月、執行猶予三年に処せられ、右裁判は同月二四日確定したものであつて、この事実は検察事務官作成の前科調書によつて認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の二の(一)の所為は刑法一九九条に、同(二)の所為は同法二三五条に、判示第二の二の所為は同法一九九条に、判示第三の二の(一)の所為は同法二四〇条後段に、同(二)の所為は同法一九〇条に、判示第四の二の(一)の所為は同法二四〇条後段に、同(二)の所為は同法一九〇条に、同(三)の所為のうち、各有印私文書偽造の点はいずれも同法一五九条一項に、各同行使の点はいずれも同法一六一条一項、一五九条一項に、詐欺の点は同法二四六条一項に、同(四)の所為のうち、有印私文書偽造の点は同法一五九条一項に、同行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項に、詐欺未遂の点は同法二五〇条、二四六条一項にそれぞれ該当するが、判示第四の二の(三)の偽造有印私文書の一括行使は、一個の行為で四個の罪名に触れる場合であり、有印私文書の各偽造とその各行使と詐欺の間にはそれぞれ順次手段結果の関係があるのて、同法五四条一項前段、後段、一〇条により結局以上を一罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、同(四)の有印私文書偽造とその行使と詐欺未遂との間にも順次手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により結局以上を一罪として最も重い詐欺未遂罪の刑(ただし、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、各所定刑中判示第一の二の(一)及び判示第二の二の各罪についてはいずれも有期懲役刑を、判示第三の二の(一)及び判示第四の二の(一)の各罪についてはいずれも死刑をそれぞれ選択し、判示第一の二の(一)及び(二)の各罪と前記確定裁判のあつた道路交通法違反罪とは刑法四五条後段の併合罪であるから、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示第一の二の(一)及び(二)の各罪について更に処断することとし、右の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の二の(一)の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一二年に処し、また判示第二の二、第三の二の(一)、(二)、第四の二の(一)ないし(四)の各罪も同法四五条前段の併合罪であるから、同法四六条一項本文、一〇条により犯情の重いH子に対する強盗殺人罪につき死刑に処し、他の刑は科さないこととし、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一〇〇日を判示第一の罪の刑に算入し、なお同法四六条一項但書により押収してあるナイロン製洗濯用ロープ一本(平成三年押第三八三号の8)は判示第三の二の(一)の、浅緑色ナイロンロープ一本(同押号の1)は判示第四の二の(一)のいずれも強盗殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、いずれも同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれらを没収し、押収してある総合口座通帳一冊(同押号の6)は判示第四の二の(一)の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項によりこれを被害者Kに還付することとし、訴訟費用については、同法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

一  本件犯行の概要

被告人に対する数次の公判請求を受け、当裁判所が審理し、認定した事実は前記のとおりであり、すなわち、被告人は、昭和五九年一一月から昭和六三年三月、平成元年六月、平成三年三月に至る六年四か月の間に、合計四件の殺人あるいは強盗殺人を犯し、さらにこれらの犯行に伴つて死体遺棄及び窃盗、詐欺などを犯したものである。被告人は、第一の犯行時において二〇歳、第二の犯行時において二三歳、第三の犯行時において二四歳、第四の犯行時において二六歳であつた。

被告人が殺害した被害者は、店番の女性、親しくつきあつていた友人、働いていた工場の同僚、そして父方の伯母の四名であるが、いずれも理不尽な被告人の凶行によつてその生命を奪われたものであつて、被告人の犯行による結果は我が国の社会において稀に見る極めて重大なものであることを、まず冒頭に指摘しておかねばならない。

二  本件各犯行について

1  判示第一の犯行

犯行に至る経緯、犯行の動機原因、犯行の態様等は判示のとおりであつて、被告人は、被害者を殺害後、物盗りの犯行に見せかけるため、同女の所持していた金銭や同店に陳列してあつたビニ本を持ち去つたうえ、犯行に用いた包丁や着用していた衣類などを投棄するなどして処分したものである。

被告人の右犯行は被害者を包丁で滅多突きする極めて残忍なものであり、被害者D子は、夫を戦争で失つた後、工員をしながら女手一つで苦労して長男を育て、昭和五七年ころから前記大人の玩具販売店で店番をして働き、人から悔みを買うようなこともなく、健康で平穏な生活を送つていたにもかかわらず、被告人の凶行によつて、その生命を断たれたものであつて、被害者本人の苦痛、無念はいかばかりかのものと思われ、また、同女の長男ら家族には同情を禁じえない。

被告人の供述によれば、被告人は同女の品物を説明する際の態度に腹を立てたというのであるが、同女の応対は冷かしの客にすぎない被告人とのやりとりの中ではむしろ当然の行動ではなかつたかとも思われ、この程度のことで腹を立て、仕返しをしようと考えたのは、被告人の激しやすく、短絡的に行動しがちな人格態度に基づくものといわねばならず、しかも同女の応対に腹を立てて仕返しをしようと考えたとはいえ、腹を立てた夜から数日経つた後、こともあろうに同女の命を奪うことまで企図し、周到な用意をしたうえでこれを実行したことに関しては、これに至る経緯・事情について客観的な証拠に乏しく被告人の供述に頼るしかないけれども、通常人とは隔たつた冷酷、残忍なものを感じさせることもまた事実である。

犯行の後も被告人は家族と同居していたが、父親らにおいて被告人の生活態度の中に殺人を遂げたことを反映する変化を発見することができないまま、被告人は昭和六一年二月に無免許運転で逮捕・勾留され、公判請求されて懲役四月(執行猶予三年間)の判決を受けたのであるが、この判決に至るまでの間に、自ら告白するのを期待するのは無理であるとしても、何らかの方法によつて本件が被告人によるものであることが発覚し、検挙立件されていたとしたら、刑事手続によつて被告人の性格の矯正を図る機会を得ることができ、判示第二以下の犯行を未然に防止することができたのではないかと思われるのであつて、現在となつてはこの点が遺憾である。

2  判示第二の犯行

犯行に至る経緯、犯行の動機原因、犯行の態様等は判示のとおりであつて、被告人の右犯行も極めて非道なものであるといわねばならず、被害者Fは、高松市の高校卒業後同市内の精肉店に勤務していて被告人と知り合い、被告人の誘いに乗つて徳島市へ来て暴力団組員となつて活動していたのであるが、被告人の凶行によつて前途あるその若い命を奪われてしまつたものであつて、被害者本人の苦痛、無念、その母親ら家族の悲しみは察するに余りある。

被告人が本件被害者を殺害しようと決意した経緯についても、主として被告人の供述によるほかないのであるが、これによつても、事件のころには被害者に対する憎悪が高まつており、事件当夜の被害者の被告人に対する態度は確かに被告人の意にそぐわないものであつたにせよ、これだけのことでいきなり同人の命を奪い去ることを企図しすぐさま実行に移した点には通常人の行動類型とは異質なものがあるといわざるをえず、しかも三年余り前に人一人を惨殺しているうえでの犯行であることを考えると、些細なことで容易に激昂し、生命の尊厳などは全く意に介さず、自らの思うままに短絡的に行動する被告人の人格態度が如実にみて取れる。

3  判示第三の犯行

犯行に至る経緯、犯行の動機原因、犯行の態様等は判示のとおりであつて、被告人は、被害者の両親から出された捜索願によつて東大和警察署の警察官が内偵を始めたことから、自分のところへも捜査が及んでくることを察知し、死体を寮内の他の同僚の部屋のベランダに置かせてもらうなどしていたが、平成二年三月、その同僚が退寮することになり、自分も退職することにしたので、大型ポリ容器を自分の部屋のベランダに戻したうえ、死体を人目につきにくいところに遺棄しようと考え、四月上旬レンタカーを借りて死体の入つたポリ容器を寮から運び出し、千葉県市川市の江戸川沿いの排水構にポリ容器もろとも被害者の死体を投げ捨て、隠匿したものである。

被告人の右各犯行も極めて残忍冷酷なものであり、被害者Gは地元の高校の中退した後上京し、丁原自動車村山工場の期間従業員として真面目に稼働して給料を貯め、将来に夢を託していた一八歳の青年であつて、被告人とは同僚として親しく交際し、被告人の度々の借金の申し入れに対してもこれに応じるなど被告人を深く信頼していたにもかかわらず、金が欲しいだけの被告人に襲われその命を奪われてしまつたものであり、同人の無念は筆舌に尽くしがたいものがあつたと推察されるうえ、室蘭市で飲食店を営んでいた両親は、同人が帰郷した後、家業の手伝いをしてくれるのを心待ちにしていたのに、最愛の息子が帰郷直前に突如消息を絶ち、手を尽くして捜したが行方がわからず、再び会うことができたのは被告人の自供によつて発見された被害者の無残な死体であつたもので、両親ら遺族の悲しみは傍からおしはかることができないほど深いものであると思われる。

本件においては、前二件とは異なり、被告人が被害者に対して憎悪したとか、腹を立てたかという事情はほとんど窺うことはできず、単に、被害者が多額の現金を所持していると思われ、その場を逃すと現金入金の機会を失うといつたことだけで、親しい同僚の命を奪い去り、その所持金を強取しようと考えついてすぐさま実行したもので、このような被告人の行動には戦慄を覚えずにはいられない。被告人が金員に窮していたといつても、それは被告人の遊興が過ぎたために金に困つただけで、遊興さえやめれば金員を要することがなかつたはずであつて、いうなれば不要不急の金員であつたわけであり、こような金のために一人の青年の命を奪うことさえ平気で実行してしまう被告人の人格態度は最大限の非難に値する。

被告人は、被害者殺害後、死体を自室の押入れやベランダに置いたポリ容器内に隠匿したまま平常どおりの生活を続けており、被害者の行方を捜して上京してきた被害者の母親らに対しても平然とシラを切り通し、警察の捜査が及んできたことを察知するや、同僚をだまして死体をその部屋に移して発覚を防ぎ、一〇か月後それ以上寮に置けない上京に立ち至つて、遠く離れた千葉県市川市まで死体を運んで行き、江戸川沿いの排水溝に投げ捨てたものであつて、被害者を殺害したことに対する自省あるいは死者に対する崇敬の念は微塵たりともみられない。

4  判示第四の犯行

犯行に至る経緯、犯行の動機原因、犯行の態様等は判示のとおりであつて、被告人は被害者を殺害して、預金通帳等を奪取した後、その死体を一旦押入れに入れて、急いで、郵便局に行き、Kの息子を装つて定額郵便貯金を解約し、その中から前記Jに電信為替で一〇〇万円を送金し、その後K方に急いで戻り、被害者の死体を六畳間床下に落としこんで隠匿してから、同人方を出て東京に戻り、同日夜、伯父Kに電話して、被告人が当日同人方に行き、被害者に対し借金のうち一〇〇万円を返し、残りは待つてもらうことにした、被害者は友達の通夜に行くと言つていたなどと話して、犯行の発覚を防ぐ工作を行い、同月一一日池袋西口の銀行において、K方で奪つた預金通帳・印鑑を用いて払戻を図つたが、既に伯父Kからの通報で支払停止手続がとられていて果たせず、その場から逃走したものである。

被告人が金のために伯父の妻を殺害して金員等を強取した右犯行は、残忍冷酷の極みというべきであつて、被害者H子は、昭和四〇年六月被告人の父Aの実兄Kと結婚し、夫婦二人で平穏円満な生活を送つていたものであり、日頃から世話をかける被告人に対し夫とともにむしろ好意的に接していたにもかかわらず、突然被告人の身勝手な金銭欲の犠牲になり、無残にも非業の死を遂げたものであつて、その無念さは察するに余りあり、また幾分健康を損なつており、日頃から労つていた妻が突然自宅からいなくなり、被告人の虚偽に惑わされたりしながらも手を尽くして行方を捜し続け、五日後に自宅床下から変わり果てた妻の姿を発見することになつた被害者の夫の受けた衝撃、最愛の妻を失つた同人の悲しみは計り知れず、後に、妻を殺害した犯人が実の甥の被告人であることが判明したのであるが、被告人に対して夫婦共々面倒を見てきたのになぜこのような目に遭うのかと、被害者の夫が本件を無念に思う気持ちは想像を絶する。

被告人の本件犯行の動機は当日Jに支払うべき一〇〇万円欲しさであつて、その一〇〇万円がなければ前記のホテトルの経営権がIに移り被告人にとつて好ましくない状況になることが予想されたとはいえ、その場合にはホテトル営業に固執することなく、他の職業を捜すなどの方法はいくらでもとれたはずであり、このような金が欲しいばかりに、前夜から被害者の殺害・金員強取を計画し、凶器を用意したうえ早朝から被害者宅へ出向いて上がりこみ、被害者との面談中多少の逡巡はあつたかのようにも窺われるが、機会を得たと見るや被害者に襲いかかつて絞殺するに至つた被告人の人格態度も前記第三の犯行と同様最大限の非難を受けなければならない。

被告人は、被害者殺害後、伯父の息子を装つて郵便局で金員を払い戻し、前記の一〇〇万円を送金し、次いで被害者方に引き返して床下に死体を落としこんで遺棄したものであり、被害者殺害後の行動の中に、少しでも自ら顧みて伯父の妻を殺害したことの意味を考えるとか死者となつた被害者の尊厳を意識するなどの態度を見出すことはできない。

三  本件捜査の経過

1  平成三年三月八日、判示第四の犯行の被害者H子が失踪し、夫から捜索願が出されて所在捜査中、同月一一日、同女方にあつたはずの夫名義の預金通帳が用いられて銀行からの払戻が企てられ、支払停止手続がとられていたために未遂にとどまるということが起き、次いで同月一三日、同女方床下から同女の死体が発見され、夫の供述から被告人が右犯行の被疑者として浮かび上り、同月一六日被告人は通常逮捕され、所持していた強取にかかる定額郵便貯金証書等を提出したうえ、逮捕当初から犯行を詳細に自白した。

2  判示第三の犯行の被害者Gは期間従業員としての契約期間が満了し、故郷へ帰る直前に突如消息を絶つたもので、両親によつて捜索願が出されて村山工場の寮に対しても探索がなされ、被告人も同僚として事情を聴かれたがシラを切り続け、警察官もそれ以上深く追求しなかつたために、Gの所在はわからず行方不明のままとなつていた。

被告人の供述によれば、被告人は右第四の犯行についての取調べが終わつた際、G殺害のことについて聞かれずに済むのであれば、そのまま済めばいいと思つていたが、取調べの警察官から「他にも何か隠していることがあるだろう。村山寮のことだよ。」と言われ、警察がGの件についても捜査していることを知つて隠しおおせないと考え、正直に話す気になつたというのである。被告人は、同年四月九日、Gを殺害したこと及び死体を遺棄したことについての上申書作成の求めに応じてこれを作成し、被告人の指示に基づいて捜索した結果、同月一〇日、Gの死体が発見され、この件についても以後の取調べに対し詳細な自白をしている。

3  被告人の取調べにあたつた司法警察員角谷昌二がG殺害の動機について追求したところ、同年四月二三日夜、被告人において「自分は簡単に人を殺せるのである。G殺害以前にも徳島と香川で人を殺している。」旨述べた。

ところで、高松南警察署は昭和五九年一二月四日D子が惨殺死体で発見され、殺人事件として捜査を開始していたが、これまで犯人のてがかりはつかめないままであり、被告人との結びつきも浮かんではいなかつた。

被告人は、G殺害の件の捜査が終了し公訴提起がなされた平成三年五月一〇日、判示第一の犯行を行つたことについての上申書の作成に応じ、徳島に移監されて、D子の殺害に用いた包丁を投棄したという現場の引き当たりに同行したものの、凶器となつた包丁は発見に至らなかつた(その移監時に後記Fを殺害した後死体を遺棄したという現場に赴いて遺棄した場所の指示も行つている。)が、D子殺害の件について六月一〇日以降詳細な自白をしている。

また徳島東警察署はFが殺害されていることについては暴力団内部での事件であり、犯行後被害者の死体が隠匿され、山林に投棄されたこともあつて、なんらの情報も把握していなかつたが、被告人が自白したことを受け、その指示に基づいてFの死体を遺棄したという場所を捜索した結果、六月一三日同人の白骨死体の一部を発見した。この件についても被告人は詳細な自白をしているものである。

4  以上のとおり、被告人は、判示第四の強盗殺人・死体遺棄事件の捜査により被疑者として特定されて逮捕されたものであるが、以後の身柄拘束中、判示第三のG殺害につい被告人がその犯人であるとの嫌疑を有していたと思われる取調警察官の追及に応じたものとはいえ、犯行事実を自白するに至り、被告人の指示によつて被害者の死体が発見されたものであるし、判示第一及び第二の各犯行についてはG殺害の動機を取調官に説明する経過の中で犯行事実を述べたものであり、判示第一のD子殺害事件では被告人の自白によつて初めて被害事実と被告人とが結びつき、判示第二のF殺害事件では、被告人の指示によつて被害者の死体が発見され、事件が解明されたものである。

右のいずれの犯行においても、被害者は被告人と二人きりのときに殺害されたものであつて、犯行に至る経緯及び犯行の態様を認定するにあたり被告人の自白に依るべき部分が多い。特に、被告人が判示第一ないし第三の犯行について自白するに至つた心境に関しては充分理解できるとはいいがたいものではあるが、被告人が犯行を自白するにつきいかなる気持ちを有していたにせよ、ともかくも被告人が各事件の細部に至るまで自白したことにより、あるいはこれに基づいて捜査官が裏付け捜査をしたことにより、本件各犯行の全容が解明されていつたことは事実であるといわなければならない。

四  被告人の性格等

1  被告人には一九歳ないし二一歳時に道路交通法違反(通行区分違反、速度超過、酒気帯び運転、無免許運転等)による罰金前科が六件あり、更に被告人は前記確定裁判記載のとおり、昭和六一年五月には道路交通法違反(無免許運転)により執行猶予付の懲役刑に処せられたものであるが、これ以外には前科前歴がなく、また小学校ないし高等学校では大きな逸脱や問題行動を起こすことなく生活していたものと窺われるし、上京後丁原自動車村山工場に就職し稼働した際にも勤務上に限つては特に問題を起こしてはいないので、この部分だけをとりあげて見れば、被告人は同世代の若者一般とさして変わるところはないようにも見受けられる。

しかし、被告人は、少年時から微小な刺激で容易に激昂して他人に対し攻撃を加える傾向を有しており、この傾向は周囲にいた友人なども指摘しているところであるが、判示第一及び第二の犯行は、被告人が内心に芽生えた被害者への攻撃衝動に駆られるまま、ほとんど逡巡することなく殺害実行に踏み切つたもので、前記の傾向が極端な形で発現したものであるといえる。

更に、被告人は就職してからは、パチンコやいわゆる風俗営業関係で遊興するようになり、そのための金員をサラ金から借りてまで費やすようになつていて、これは上京後、前記村山工場に勤務していた時も同工場を辞めてホテトル営業に従事していた時も同様であり、その遊興の様子に窺われる金銭感覚には常識を超えるものがある。そして、金員の必要に迫られると他人の生命を奪つてでもこれを手に入れるという行動に極めて容易に踏み出すことのできる性格は、暴力団組織での生活及び前記二件の殺人の経験、更には上京してからの放蕩な生活の中で外部の力によつて矯正される機会もなく次第に固定化していつたものではないかと考えられる。

被告人は、前記のとおり、逮捕された後は各犯行についてその経緯・態様を詳細に自白したものであるが、それぞれの件に対して反省や悔悟の情は少なくとも表面的には現れてきていない。

2  当裁判所の審理において、社会学及び心理学の視点から本件各犯行の動機及び原因を検討した鑑定人らは、被告人の過去における環境が被告人の人間性を開発するのに十分なものではなく、被告人が情性の著しく欠如した状態に放置されてきたために、被害者に対して特別な感情を持つまでに至らず表面上反省悔悟の情を欠いているものであり、通常であれば当然犯行の抑止機能を果たす加害者の人間性、人間観、被害者の怨念、恨みの深さ、これらに対する加害者が当然抱かねばならない宗教的恐怖心のいずれもが被告人において欠落しているために同種の犯行を繰り返し反復する動機原因となつたと分析し、また、被告人の攻撃衝動がその自尊心が傷つけられたときに生じやすいとしたうえで、自尊心が傷つけられて被告人の攻撃衝動が刺激されたときに通常の人間に期待される抑制を超えて殺人行為に及ぶのは、被告人の攻撃衝動が自我から分離されて自我の統制外にあるために自我の抑止機能が働かず、あるいは攻撃衝動が自我の統制外にあるために日常生活の中で十分昇華されずに蓄積し、これが一気に突出するために通常の抑止力では統御できなかつたのではないかと推測している。そして、被告人が、本件犯行について詳しく自供し反省改悛の情を示さなければならない立場にあることを理解していると述べながら、事件に関する思考を一切断ち、事件に関する記憶を忘れ去ろうと努めて、被害者に対する罪償感や改悛の情を全く示さないことについては、不安を呼び起こす衝動など自己に不都合なものは外部の対象であれ内心の衝動であれ一切を見まいとして否認否定する被告人の自我が持つ中核的防御機制であると指摘している。

3  被告人が本件各犯行を敢行した原因を考えるのに、被告人の幼少時からの生育歴、家庭環境をはじめ、思春期以降の生活歴、行動歴によつて形成されてきた被告人の人格そのものが根底にあることは否定できない。被告人の少年時代において、被告人が両親特に父親に厳しく育てられたこと、四歳年下の弟の方に両親の関心が向けられがちであると感じさせるような状況があつたことなどが認められるが、これだけであれば通常一般の家庭にもしばしば見られることであつて、本件各犯行に特徴的に見られる被告人の人格態度を形成した主因となることは不当であろう。被告人が高等学校を卒業し、両親の指導を離れて独立した人生を歩み出したとき、自分の人格を如何に形づくるかは被告人自身が決定でき、また決定すべき事柄であつたわけであるが、被告人はその後の行動・生活の中で自分自身本件各犯行を惹起するような人格を作りあげてきたものであつて、この点において被告人は一個の人格を持つた人間として本件に対し相応の刑事責任を負わねばならない。

五  結論

以上述べてきた諸事情に基づいて被告人に対する量刑を決定する。

判示第一のD子殺害及び窃盗については、前記の確定裁判が存在することにより他の犯行とは別個に刑を決定することになるが、前に述べた犯行の動機・態様に照らしたうえ、犯行の時点においては被告人が二〇歳になつたばかりであつたことをも考慮して、被告人を懲役一二年に処することとする。

判示第二のFに対する殺人、判示第三のGに対する強盗殺人、判示第四のH子に対する強盗殺人についての刑の選択について当裁判所は考慮を重ねてきた結果、判示第二の犯行については、前記のとおり被告人の供述によつて初めて発覚したものであること等を考慮し、有期懲役刑を選択するが、判示第三及び第四の各強盗殺人に対しては、縷々述べた事情を総合すれば、その刑事責任は現行の仮出獄が認められている無期の懲役刑で償うことのできる範疇をはるかに超えているものと判断せざるをえず、弁護人の指摘をまつまでもなく、今日の我が国社会においては死刑の選択適用については慎重の上にも慎重に臨むべきであり、死刑を選択するのはまことにやむを得ない場合に限定してなされるべきであるが、右二件の犯行の動機、犯行態様、結果等によれば、被告人にとつて有利に斟酌しうる事情をすべて考慮しても、いずれの犯行についても被告人自身の生命をもつてその刑事責任を償う死刑を選択せざるをえない場合に該当するものと判断するに至つた次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上田誠治 裁判官 秋山 敬 裁判官 福井健太)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例